ちくちく日記

DTP系備忘録。真面目にやってます。

大日本印刷の活版印刷設備

ちょっと前の話なのだけど、書いとかないと忘れちゃうからな、というわけで久しぶりに日記。

大日本印刷活版印刷設備を見学してきました!

活版印刷ってあれですよ、銀河鉄道の夜でジョバンニが家計を助ける為にやってた字を拾う仕事(文選)のやつ!鉛で出来た活字を一文字一文字並べて印刷の版を作るやつです!(乏しい知識による説明)

▲これな。(映画「銀河鉄道の夜」より)

最近はそのでこぼことした風合いが味があるということで、ちょっとこだわりの名刺とかはがきとかを印刷してくれる活版印刷所というのが人気だそうですが、どこも小物が中心の小規模な印刷で書籍や雑誌などの大物を扱えるような規模ではありません。
活版で大規模な印刷をしていたのなんて、もう30年、40年、いやもっと前の話です。写植ができて電算写植になってその後DTPに移行したこの50年の間に、活版印刷は衰退し、当然設備なんかも(小規模の印刷所程度しか)残っていないと思ってました。


ところが、その活版印刷の大規模な設備がまだ大日本印刷に残っている!え!なにそれ!ってことで見学させてもらってきました!


分け入っても分け入ってもDNP

活版印刷の設備が残っているのはDNP、市ヶ谷の工場。あの大日本印刷の工場や建物が林立している「DNP村」と呼ばれるエリアです。
いやー、私ここには初めて行ったんだけど、ほんとあのエリアって大日本の建物ばっかりなのね。「分け入っても分け入ってもDNP」って感じで。右を見ても左を見てもDNPの建物。
山手線の内側エリアにこんだけ広大な敷地で工場とか建物があるってすごいわー…。さすがに日本一位の印刷会社だぜ…。

活版印刷設備はこのエリアの、今はもう使われていないスタジオに保管されていました。


▲保管された活版印刷設備

写真だとわかりにくいけど、このスタジオ広いんです。
バスケットコートぐらい…?はあったかな…。その広いエリアにぎっしりと活字棚。

この設備がどのぐらいの規模なのかというと「活版印刷での週刊誌を組むのに必要な数の活字棚」が揃っている。
つまり、名刺やはがきのように文字が少ししかいらない端物印刷と違って、週刊誌、文芸誌などを組もうと思えばそれだけの数の活字と、短期間で必要なページをくみ上げるだけの職人の為の活字棚が必要。大量の活字と活字棚。必然的にこのぐらいの物量になる。

さらに活字だけでなく、必要な活字を鋳造する為の鋳造機も必要。もちろんこれも残ってる


▲鋳造機。鉛を溶かして活字を鋳造する。銀色のは鉛の延べ棒。



組み上がった活字を入れた木の箱(ゲラ)を校正用に印刷する機械も。これで刷った物がほんとのゲラ刷りというやつ。

▲ゲラ刷り機


ちなみに、今回見学できたのは大日本印刷の方から「興味あるなら見学しますか?」というお話があり、ありがたく参加させていただいたため。設備も倉庫も通常一般公開しているものではありません。

2004年まで現役だった活版印刷

さて、これらの設備、こんだけ大規模な設備がまだ残っているなんて、大日本印刷物持ちいいなー、何十年保管してるんだよ…と思ったら。

「実は2004年頃まで、活版印刷での週刊誌制作を行っていたんです」


にっ…2004年…っ!?


えっ?えっ?10年まえだよ???写植どころかDTPあるよ???QuarkどころかInDesignあるよ?????
そのころに活版印刷で週刊誌制作??????週刊誌???しゅうかんしぃいいいいい?????


なにかんがえてたんですか大日本さん!!!!!


…どういった理由からかは聞き損ねましたが、大日本印刷では2004頃まで、活版印刷での情報誌(週刊誌、文芸誌など数冊)制作を行っていて、現役でこれらの設備が使われていたのだそうです。
た、たしかに残されている活字棚をみると「インターネット」「ワールドカップ」などの近代的な言葉が用意されているのがわかる(活字棚は組まれる仕事にあわせてよく使う活字をまとめて並べらているのです)まじだ…まじで10年前までやってたんだ…。



▲なんか廃屋で古いエロ雑誌みつけたみたいな風情がただよう活字棚
残された文字にどことなくいやらしさが漂うのは最後まで活版印刷を行っていた業務がスポーツ系雑誌とエロ系文芸誌だったから。

10年前に活版印刷が終了した後、一旦すべての設備をこの空きスタジオに移設し保管しているのだそうで。
設備を動かす際、活字や活字棚をそのまま移設するため、運搬業者がすべての棚にナンバリング、梱包して搬送。その後元通りに復元するのに丸一ヶ月かかったとか。がんばったな日通…(活字の重さ、細かさ、量の多さを考えると、見積もり依頼された段階で断ってしまいたいような案件じゃなかったかと思う…)

ちなみにこの空きスタジオも近々取り壊されるため、再度のお引っ越しが予定されているのだそうです!それも日通かな!がんばれ日通!


これからどこへいく

これらの活版設備の今後について、とりあえず今のところは「全部残しとく」という方針なのだそうですが、いつまでその方針なのか、この先どうするのかは決まっていないとのこと。
うーん、確かにこれだけの規模の設備をどうするっていっても難しいなぁ…。たとえば博物館などに展示するといっても、活版印刷の仕組みを知るだけなら活字棚一つ、鋳造機一つぐらいあれば用は足りてしまう。ここまでの数をそろえておく必要はない。
だけどこの設備の価値は「これだけの規模で残っている」っていうとこなのだ。

印刷物を作るというのがどれだけ大変な仕事だったか

見学をさせていただいたのは10月の中頃で、その時期ちょうど「ドットDNP」(大日本印刷が運営するイベントや展示を行うコミュニケーションスペース)で「ドット電車フェア」という展示が行われていた。
電車をテーマにした展示なのだけど、その中に「電車の時刻表を活版印刷で再現する」として、東海道新幹線開業当時の時刻表を当時と同じ活版印刷で再現したものが展示されていた。


▲展示されていた時刻表の活版組版。ものすごい細かさ。

この組版、現役の活版印刷所の職人さんにお願いして植字してもらったそうなのですが、ベテランの職人さんにおねがいしても「1ページが組み上がるのに朝の9時から始めて丸一日かかった」のだそうです。

時刻表という超絶に細かい文字組だからというところを割り引いたとしても、活字による組版はそれだけ時間がかかるもの。

そんな手間のかかる作業で、時間との勝負である週刊誌、大量の文字を扱う文芸誌を組もうと思ったらどれだけの人手が必要であるか。また日本語という、ひらがな、カタカナそして大量の漢字が必要な言語で文章をつくるためにはどれだけの活字が必要になるのか。

印刷物を作るという事がいかに大変なことだったかが、この膨大な設備を見ると本当によくわかるのだ。


そしてこの設備は「これだけの規模で残っている」というところが価値であるが、同時に「これだけの設備が残っていてもまったく意味がない」ものである。
道具としては、いまでも週刊誌が組めるほどの機械、材料が残っている。だけどやろうと思っても、もうこの設備で週刊誌は作れない。
なぜならこの設備はこれを使いこなせる人間がいて初めて使える物だから。
大量の活字の中から、短時間で目的の文字を拾い集める文選工、集められた活字を正しく組み上げる植字工、それぞれの専門的能力をもった熟練者がいなければここから印刷物を作り出す事はできない。

10年前まで活版印刷が行われていたこの現場で働いていたのは、ほとんど70歳代など年配の職人さん達だったそうです。
多分定年後もその業務のために継続して勤めておられたのでしょう。活版印刷による制作が終了したと同時にその職人さん達も引退している。
そして職人さん達がいなくなった時点でここの活字達は「印刷物を生み出す為の道具」から「ただそこにあるだけの物」になってしまったのだ。


この設備を見学する前、今回の見学を設定してくださった大日本印刷の方から「(あの設備を)見ると、一台のパソコンの中にこの設備と同じ文字がはいってるなんて、PASSPORTすげーーーーー!!!ってなりますよ」って言われたんだけど、うん、なった。
PASSPORTすげえっていうより、これだけの設備が必要だった印刷が、たった一台のパソコンでできるようになっちゃってるなんて、なんてすごい事なんだろうってものすごく実感した。

この設備が今後どうなるのか、どこにいくのかはわからないけど、多分これだけの規模の活版設備を見られるのはもうここが最後の場所じゃないかな。
なくなってしまう前に、ここをみることができてほんとうによかったとおもう。

そして、最後までここで働いていたという活版印刷の職人さん達、年代からいって就職してずっと社会人生活すべてが活版印刷とともにあった世代だ。
多分、後年数十年の間は活版印刷の終わりをひしひしと感じながらのお仕事だっただろう。「この仕事はいつまでやれるのか」と不安になったりもしただろう。だけど、結局最後の最後まで活版印刷でお仕事をして、その終わりまで見届ける事ができた。それはとても幸せなお仕事人生だったのではないかな。

私もこういう風に最後の最後まで仕事したーっていうお仕事人生がいいなぁ。…あれ?でもその場合私のお仕事人生を伴走してくれる相棒は何になるんだろう…。



…。
……。
…………もしかしてこいつ?

神様…


なんだろうものすごい「お前かよ…」感!
活版印刷の職人さんたちは活字と共に走った仕事人生だけど、こっちはAd○beに走らされ、翻弄される仕事人生だよ!ちくしょう!